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鎌倉 満福寺


江ノ電の腰越駅のチョット先(海側へ)の踏切を
渡ったところの、急な階段を上ったところにあります。



本堂です。


このお寺は源義経をまつってあります。

 義経は頼朝に会いに来たが鎌倉に入れてもらえなかった

日頃から義経と不仲であった梶原景時が頼朝に出した義経に対する不服を述べた書状や、頼朝の許可なく朝廷から官位を任じられた為に義経は頼朝の怒りを買ってしまう。
頼朝の怒りを伝え聞いた義経は、すぐに直接会って弁明しようと京都から鎌倉へ向う。しかし、鎌倉に入ることを許されずすぐ手前の腰越で足止めされた。その時、滞在したのが、腰越の満福寺です。又、奥州で自害した義経の首が検分されたのもこの辺りだといわれています。

           
          義経腰越状
            
源義経恐れながら申し上げます。私は頼朝殿の御代官の1人に選ばれて、天皇の命を受け、朝敵平氏を滅ぼし、父祖の恥をすすぎました。本来ならば褒章を戴けるところを、あらぬ讒言によって功績も無視されました。私に誤ちはないというのにお叱りを受け空しく涙を流しています。讒言をした者の言葉が真実かどうかも確かめずに、鎌倉に入ることをお許しくださいませんので、私は気持ちもお伝えすることができず数日を過ごしています。前世からの兄弟の縁も切れてしまったのでしょうか。亡き父の御霊が現れて下さる以外に、誰1人私の悲しみを聞いてもくれず哀れんでもくれないでしょう

下の写真は義経の碑と弁慶の手玉石です。



義経公手洗いの井戸です。

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