小町通り
鎌倉駅東口左手の赤い鳥居をくぐって、若宮大路に並行して北に進む、横大路の西端の鉄ノ井までの道を小町通りといいます。
約600mの道の両側にはにはいろいろな店が並びにぎやかな通りです。たくさの観光客が終日訪れています。
鶴岡八幡宮
八幡様はまだ新年のよそおい。初詣の人も結構お参りしておりました。
康平6年(1063)源頼義が清和源氏の氏神である八幡宮(石清水八幡宮)を由比郷に祀ったのが始まりで、建久2年(1191)源頼朝が現在地に本宮(上宮)・若宮(下宮)を建立したといわれる。現社殿は文政11年(1828)に徳川11代将軍家斉が建立。

頼朝墓
源頼朝は義朝の嫡子で、平治の乱の後伊豆韮山に流されていた。治永4年(1180)北条時政の応援を得て平氏討伐の兵を挙げ寿永3年(1185)平氏一門を滅亡しついで奥州の藤原氏を滅ぼして全国を平定し鎌倉幕府を開いた。正治元年(1199)53歳でなくなった。お墓の下あたりが当時の幕府跡です。

荏柄天神社
鳥居をくぐって参道を進み、階段を上ったところに本殿があります。
福岡の大宰府天満宮、京都の北の天満宮と並び日本三大天神の一つに数えられている。平安時代の中ごろ、雷雨と共に天神の姿絵が降りてきたのを里人が敬いそこに神社を建てて祀ったのが始まりとされています。頼朝が幕府を開くと、その鬼門を守護する神社として崇められました。本殿は国の重要文化財に指定されています。

鎌倉宮(大塔宮)
後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社です。護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の動きに呼応して幕府軍と戦い貢献しました。幕府が滅亡し天皇親政復活(建武の新政)すると征夷大将軍に任じられましたが、その後足利尊氏と対立して捕らえられ、28才で非業の最期を遂げました。社殿の後ろ側に捕らわれた時の土牢があります。
身代わり様
護良親王の忠臣である村上義光は、親王が戦いの場であわやというときに、親王の鎧直垂を着て身代わりないなって、親王を逃がした。この古事にあやかって村上義光の木像を彫ってこの像を撫で身代わりとして入魂して有ります。
厄割り石
素焼きの盃が置いてあって、これに大きく息を吹きかけて横の石に投げつけて割り体の厄(わるいもの)を祓います
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